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太子堂の学区域
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太子堂
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| 1611年(慶長16年)についた地名。その由来は現在の真言宗圓泉寺(世田谷区太子堂3-30-8)に聖徳太子像をまつるお堂があったことにちなむ。 このお堂が「太子堂」とよばれ親しみをこめられこの地の名となったのだろう。 さて、この聖徳太子像の作者だが、実は弘法大師(空海)だと言われている。 空海と言えば若い頃に密航同然で(という説もある)遣唐使船に乗り中国に渡り驚く程の短い時間で密教を会得(?)したと言われ、 帰国後は全国を行脚し庶民を救い奇跡も起こし悟りを開いたという事で、日本全国どこに行っても空海ゆかりの場所がある。 本当にそんなに回れるものかどうか疑問は残るが、こういう話で想像をふくらますのは実に楽しい。 史実的な部分でいうと、同時期(あるいは同じ遣唐使船で)にエリートとして中国に派遣された最澄が比叡山延暦寺を開きながらも、 異端児である空海の高野山に赴き密教の奥義を学ぼうとしたが、最澄が密教以外の教えを捨てないことを理由に断った。 しかし、その後の空海と最澄の関係も良好で現在に引き継がれている。 大幅に脱線してしまったが、この空海が作ったという聖徳太子像は1857年(安政4年)太子堂とともに焼失してしまっている。 |
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